しゃべるシーラカンス

釣りして読書してのんびりしたい

「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲)を読んで積年の悩みが軽くなった

小学生のころから周りになじめない自分に気づいた。雑談はできるし笑い話もできるし遊びにも行くんだけどちょっと違うような感覚。

 

中学・高校と進むにつれてその傾向は強まった。部活が同じ同級生とは仲良くなるし、よく話す友人もクラスにも数人いた。一人は寂しいから普通に話していた。けど、やっぱり孤独だった。

 

帰り道は一緒に帰るより一人が楽だった。悩み相談をしても納得する返事をしてくれる人はいなかった。交友関係も広がらないから、当然彼女もできなかった。

 

正直なところ、高校までは成績が良かったから話が合わなかったのだろう。大学で自分の偏差値に合ったところへ行けば、同じような感覚をもった人たちがいて、楽しい交友関係ができるんだろうと思っていた。

 

そんなことはなかった。大学ではより顕著になった。今までの延長でなんとなくかみ合わない、ムズムズする、薄く感じる会話が消えることはなかった。ましてやサークルや同好会の、作られた違和感だらけの関係は耐えられなかった。

 

 

そこまで行くとさすがに、交友関係が上手く築けないのは、自分の考え方に問題があるんだと考えた。改善しようと思って、人とうまくしゃべるには、雑談力を上げるには、といった類の自己啓発本を読むようになった。それでも一向に愉快な交友関係なんて作れなかった。

 

不思議だったのは、本にはそれらしい、実践すれば確かに上手くいきそうな理論が書いてある。いや、実践すれば本当に上手くいくと思う。でも実践できなかった。一回、二回試してみても続かないのだ。

 

「そんな技で作った交友関係の何が良いのか」という疑問に自分が答えられなかった。そんな経験から、自分には世間一般にあふれているキラキラしたようにみえる交友関係が向いてないと思った。今でもその姿勢は変わっていない。

 

前置きが長くなったが、そんな中で懲りずに読んだ残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法である。

 

橘さんは『ぼくはずっと、自己啓発に惹かれながらもうさんくさいと感じていて、そのことをうまく説明できなかった。』と語っている。この本の中で橘さんは自己啓発が主張することをバッサバッサと切っていくんだけど、橘さん自身が惹かれていたと言ったように、切る文章の中にも自己啓発に期待していた気持ちを感じる。まあとっくの昔にその呪縛からは解放されているようですが。その解放の過程を丁寧に説明してくれた。

 

切る作業を通じて、私が今まで考えてきた、交友関係をつくるための手段が結局は意味がないような気がした。でもこれはとてもうれしかった。感じていた無意味感に合致するものだったし。

 

何より、自分と同じような考えの人がいるんだと確信できたのがとてもうれしかった。今まで関わりのある世界では、違和感のある交友関係がほとんどだった。でも最近だとヒデヨシさんやサウザーさんのブログを読んで、ちょっとした感じ方の共通点なんかを見つけて自分はこれでいいんだ。感じてる、考えてることは間違いじゃないんだと感じることができていた。その自己受容がより深まったのが、この本だった。

 

『ここまでぼくの話を聞いてくれたのだから、君はぼくに似ているのだ。』

 

感じ方が似ている人の文章というのは、わかる。なんでか知んないけど。似てる人がいるってだけで自分は一人じゃないって思えた。これからは胸を張って周りに合わせすぎず、自分が好きなことをやっていこうと思う。