しゃべるシーラカンス

釣りして読書してのんびりしたい

「筋トレして何を目指してるの」には答えるだけムダ

 
 
「なんで筋トレしてるの?」
「そんなに筋トレして、何を目指してるの?」
 
筋トレで体つきが変わってくると、皮肉まじりにこう聞かれはじめた。
 
 

さいころから筋肉番付やSASUKEが好きだった


筋肉系や運動系の番組がすきだから、筋トレにはまったのはある意味自然だった。
 
『筋肉』で検索するとたくさん画像がでてくるだろう。
 
『筋肉』で検索されるような、鍛えられた体を目標にしていた。
 
もしくはスポーツ王決定戦のなかやまきんに君のような体を。
 
 
そこに論理はない。
 
ただカッコいいと思うからだ。
 
 
それにしても「何を目指してるの」といわれるほど必死になるのはなぜか
 
 
 

筋肉はすぐには結果がでない


筋肉をつけるのに必要なのは継続である。
 
きついトレーニングや筋肉痛にもめげず疲労を感じつつも
 
「とりあえず筋トレしとくか!」
 
そしてまた筋肉痛になる、というひたすらの繰り返しである。
 
それがキツイくて必死になってるかというと、違う。 
 
いつしか筋肉が大きくなること
 
筋トレそのものに楽しみを見いだしていた。
 
食事やプロテインも誰にすすめられるでもなく気をつけ始めた。
 
 
それは大した努力ではない
 
 
目標達成のための習慣なのだ。
 
 
 
習慣になれば、めんどくさいと感じてもやるもんだ。
 
たとえすぐに寝たくても歯みがきをする理由は、歯の健康を保ちたいからだろう。
 
同じように多少つらくても筋トレをする理由は、現状よりマッチョになりたいからだ。
 
 
からしたら必死にみえるだけなのだ。
 
 
だから「なぜ筋トレしてるのか」には正直にこう答えるしかない
 
 
「筋肉がすきだから」
「マッチョだとかっこよくない?」
 
 
でもたいていの人は納得しない。
 
 
 
 

「なぜ筋トレをしてるのか」という質問には多かれ少なかれ悪意がある


 
おそらく、答えを聞いた人が思うことは
 
 
(そんな頑張って筋トレしてるけど、全然カッコよくないじゃん)
(頑張ってない私の方が細くてシュッとしててカッコいいのに、必死に筋トレしててウケる)
 
 
さすがに想像が行きすぎだろうか?
 
でも似た感情はもっているはず。
 
 
だって過去の私がそう思っていたから。
 
 
 
 

筋トレはいらないと思ってた


 

高校生までは筋トレなんてする必要ないと考えていた。
 
筋トレなんてしなくても、十分に筋肉があると勘違いしていたから。
 
自分も上半身裸になれば
 

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これくらい筋肉があると本気で思っていた。
 
自分の体の良いところだけみて
悪いところはみようとしなかったからこそ
生まれた勘違いだと思う。
 
 
似たような現象はほかの分野でも確認されている。
 
 
 
「胸は大きすぎるとダメだ。Cカップくらいがちょうど良い」
 
という人が明日花キララを推す現象だ。
 
 
彼らはCカップがどれくらいの大きさがわかっていない。
 
 
本来なら
 
「胸は大きくても大歓迎。EカップやFカップどんとこい」
 
というべきなのだ。
 
 
筋肉についても同様に、質問する彼らが自身のデカさを客観的にわかってない。
 
「頑張ってない私の方が細くてシュッとしててカッコいい」
 
という人に自分の姿を、写真を撮るなどして、客観視させればいい。
 
そうすれば、なんだこのガリガリは…!と気付くはず。
 
 
過去の私はこうやって更生したのだ。
 
 
 
 

「なんで筋トレしてるの」への最適な答え


 はっきり言って
 
(本心をいってはダメなのか?)
(もっと納得しやすい回答があるのか?)
 
悩むのは時間の無駄である。
 
 
彼らが筋トレはいらないと考えている以上、その壁の向こう側に理解をもとめても救いがない。
 
過去の私のように写真をみせることで更生できるかもしれない。
 
でも人によっては本当に、細い自分がすきな場合もある。
 
だから色々考えるのは時間の無駄。
 
これからは自分のことに集中しよう。
マッチョになるには時間が足りない。